こんにちは、Nameck(なめっく)です。
今回のテーマは子どもが不登校になってしまった場合の親の責任ついてです。
自分の子どもが不登校になってしまったら「育て方が悪かったのだろうか」と自分を責めてしまう人も少なくありません。
しかし、子どもが不登校になってしまったのは本当に親の責任なのでしょうか?
・不登校の子がいるつらい気持ちをどうすればいいんだろう?
・今から子どものためにどうすればいいのかな?
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こういった疑問に答えるために、次のポイントを解説していきます。
【この記事で学べること】
- 不登校は本当に親の責任なの?
- 不登校の子の親が抱えるつらい気持ちの対処法
- 今から不登校の子の親ができることとは
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本ブログの内容は、科学的に分析された心理学論文の情報に基づいています。
それでは、さっそく子どもが不登校になってしまった場合の親の責任について学んでいきましょう!
不登校は本当に親の責任なの?
結論からお伝えをすると、不登校になってしまったのは親のせいではありません。
その理由は、次の2つです。
- 子どもの全てを監視することは出来ないから
- 子どもの性格は生まれながらにしてある程度決まっているから
子どもの全てを監視することは出来ない
子どもは大きくなるにつれ、親から離れ過ごさなければなけません。
そのため、親がいない間子どもに何が起こっているのかすべて監視することは不可能だからです。
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また、子どもの性格は子育てだけでなく、生まれながらにしてある程度決まっています。
子どもの性格はある程度生まれながらに決まっている
子どもの性格というものは、親子で顔のパーツが似ているということがあるように、生まれながらにしてある程度決まっています。
心理学では、その人らしさであるパーソナリティは次の2つの要因から構成されると考えます。
- 気質:生まれながらにして持っているその人の傾向
- 性格:生まれた後に形成されるその人の傾向
背が高い、目が大きいのような生まれながらにして決まっている要因は、親からの遺伝の影響を受けやすく、生まれた後の変わらない(変わりにくい)ものであると言われています。
これに対し、性格は遺伝による影響はあまり受けず、生まれた後の経験から形成されていくとされます。
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クロニンジャ―は基本的な気質と性格を分析し、次のように分類しました。
名前 | 特徴 | |
気質 | 新奇性追求 | 新しいものや珍しいものに興味を示す積極性・衝動性 |
損害回避 | ネガティブな結果を避けようとする心配性・用心深さ | |
報酬依存 | 人から褒められることを好む人情家・社交性 | |
固執 | 諦めず取り組む粘り強さ・我慢強さ | |
性格 | 自己志向 | 自分自身を認める自尊感情 |
協調 | 人の気持ちに敏感で他者へ思いやる優しさ | |
自己超越 | 自然や宇宙など自分を超えた存在と一体感を感じるスピリチュアルさ |
例えば、「固執」が生まれながらにして低ければ、勉強がつまらなくて学校に行きたくないということになってきます。
また、「損害回避」が高ければ、友達に嫌われたかも、テストで失敗してしまうかもなどのプレッシャーから学校に行けなくなってしまうのです。
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それではなぜ、子どもが不登校になってしまうよう育った全責任は親にあるという誤った考えが存在するのでしょうか?
不登校を病理として見る「登校拒否」の時代
現代では長期欠席を「不登校」と表現しますが、昔は「登校拒否」という名称が用いられていました。
その起源は、1940年代ごろにアメリカにおいて「登校時に強い不安が生じ、どうしても学校に行けない子ども」に対しての研究に求められます。
そこでは、子どもの示す強い不安は「病的な恐れ」として見なされ、学校恐怖症と呼ばれる病理であると考えられるようになりました。
その後、このような恐怖反応は症状のごく一部であるとして、学校恐怖症から「登校拒否」へとその呼び方は変わっていきました。
登校拒否という用語には子どもの持っている性格や、その時の心的状態によって登校を拒否するという意味で使われていました。
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このことから登校拒否児は「甘え」であったり、「怠け」によって学校に行きたがらないと考えられるようになりました。
そして、子どもがそのような性格になったのは親の教育、しつけに問題があると「子どもが学校に行っていないのは親のせいだ」という見方が強まったのです。
現在は不登校と名称が変わり、不登校を病気であったり、しつけや子どもの性格の問題とする見方はしませんが、このような経緯から一部では不登校はすべて親のせいであるという偏った見方が残ってしまっているのです。
子育ての責任をどのように考えれば良いのか
それでは社会での子育てという考えに基づく現代では、子育ての責任についてどのように考えれば良いのでしょうか。
そもそも、子育ては家庭だけで抱え込まず、社会で行うということが法律にも明記されています。
「国を呼び地方公共団体は、保護者と共に児童を育成する責任を負う」
そして、子育ての責任は大きく次の3つに分けられます。
- 公的責任:行政等により、子育てに必要な基盤を整える
- 社会的責任:子育て制度の財源となったり、家庭と連携する
- 私的責任:実際の子育ての主体となる
この私的責任というのが、いわゆる家庭の教育方針に基づき、実際に子どもを育てるということです。
確かに、子どもと過ごす時間が長く、一番子どもにとって身近な存在であす親がこの私的責任を担い、子育ての主体となるべきなのは事実です。
しかし、それだけでは家庭が孤立し、何か困った際に十分な対処をすることが出来ません。
そのため、社会的責任を担い手と共に協力をする必要があるのです。
例えば、ママ友のように家庭間での交流を行い、子育ての悩みを共有することなどがあります。
その他にも「保育園」や「学校」、その他子育てサービスを提供する社会福祉法人や市民グループなどに子育ての相談をすることなどもあるでしょう。
こうした交流があることで、新たな子育てのアプローチを学び、それを実践する機会が得られます。
誰も最初から完璧な子育ては出来ません。
子育ての社会化における私的責任は、状況に応じて必要な支援を求め、主体的に周囲のサービスを活用していくことであると言えるでしょう。
不登校の子の親が抱えるつらい気持ちの対処法
それでは、自分のせいで不登校になってしまったという辛い気持ちにはどのように対処したらよいのでしょうか。
心理学的な罪悪感の解説
自分のせいで、子どもが不登校になってしまったと自分を責めるときに生じる感情の正体は罪悪感です。
罪悪感とは次のような感情を指します。
罪悪感は良心の呵責や後悔などの感覚を生じさせる感情であり、本人にとって非常に不快であるという特徴があります。
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現在は多様な学びの場が用意され、学校に行くことだけが選択肢ではありません。
しかし、学校へ通う子ども数は多いため、保育園・幼稚園の次は学校に行くものだという常識が作られがちです。
その常識から外れてしまっているという状況が罪悪感の源となっているのです。
このような現実の自分と義務を守っている自分のイメージの間に不一致がある際に罪悪感が生じてしまいます。
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罪悪感の機能
本来、罪悪感には罪悪感を感じている本人とその被害者の関係性を修復させる機能があります。
例えば、友達の大切にしているものを壊してしまったとしましょう。
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罪悪感を感じている場合、被害者への謝罪や補償(この例だと新品を買いなおすなど)といった社会的な行動が導かれます。
それは、このような罪悪感は他者が傷つく姿をイメージし、それに共感することがベースとなっているからです。
しかし、自身の不安や恐怖に基づいて罪悪感が生じてしまった場合には適応的な機能を発揮できません。
私に子育てをする資格なんてなかったのかもしれない…
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このような自分の子育てがどのように評価されるのかという不安に基づいた罪悪感では、ただ自分を責めてしまうだけで終わってしまいます。
社会的行動を起こさず、ただ自己嫌悪に陥る罪悪感は適応的な機能を有しているとは言い難いでしょう。
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罪悪感を低減させるための方法
罪悪感を低減させるためには、謝罪や補償行動が必要です。
その理由は、罪悪感が相手が傷ついている状態へ共感していることが前提となっているためです。
例えば、謝ったり、弁償することで、大切なものが壊されてしまった相手の傷つきが軽くなれば、それに対応して罪悪感も少なくなるのです。
これは不登校ではどのようになるでしょうか。
子どもが不登校で暗い顔をして家で過ごしていたとしましょう。
そのような時には、「他の子は学校に行っているのに、行けていない自分」に傷ついているでしょう。
そのため、子どもがまた楽しく学校に通えるようサポートし、自信を取り戻した姿を見れば罪悪感はなくなっていくはずです。
他にも子どもが不登校で暗い顔をしているのであれば、新たに明るく過ごし、楽しく学ぶことのできる居場所を見つけてあげることが挙げられます。
もし、「自分の子育てが悪かったんだ」と自己嫌悪に落ちっている人は、自分の子育てではなく、子どもの気持ちを考えるよう注目の的をシフトさせましょう。
そうすることで、「この子のために何かできることはないだろうか」と行動を起こすことが出来ます。
今から不登校の子の親ができることとは
確かに不登校になった全責任が親にあるわけではありませんが、子育てが子どもに与える影響は非常に大きいのは事実です。
そして、それはこれからの接し方次第で子どもの状況を変えることが出来ると言いうことなのです。
それでは、どのように子どもと接するべきなのでしょうか。
答えは、子どもとの間に信頼関係を築くことのできる接し方です。
子どもと親の間の信頼関係は心理学的に愛着と呼ばれます。
安定した愛着を形成することは精神的健康や社会適応において重要なことは古くから指摘されていますが、不登校から立ち直るためにも重要であることが研究からわかっています。
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まとめ:不登校は全部親のせいだと自分を責めるのはやめましょう
今回は不登校の子育てにおける責任について解説しました。
記事のポイントをまとめます。
- 「不登校になってしまったのは親のせい」だと全責任を背負うのは誤り
- 不登校の子の親が抱えるつらい罪悪感は子どものために行動すれば小さく出来る
- 子どもと信頼関係を築くコミュニケーションで不登校から脱しよう
【参考文献】
- 国里愛彦・山口陽弘・鈴木伸一(2008)『Cloningerの気質・性格モデルとBig Fiveモデルとの関連性 』パーソナリティ研究 16 (3), 324-334
- 賀須井貴子(2021)『学校に行かないことはどう論じられてきたのか : 不登校家族の実践を理解するために 』千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書 361 66-75
- 井上寿美(2012)『子育ての社会化における親による養育責任 -子育てに関する責任の所在と担われ方の検討をとおして-』関西福祉大学社会福祉学部研究紀要 16 (1), 29-35
- 大西将史(2008)『特性罪悪感の特徴に関する研究 : Big Five,共感性および規範に対する強迫的遵守傾向との関係』心理科学 29 (1), 80-95